東日本大震災・原発事故と危機的な状態は続いている。
地震によって非常に大勢の方が亡くなった。2万人を超える死者・行方不明者。まだ増えるかもし
れない。
津波の中生き残った人々。家族との死別・ 支えあって暖めあいながら生き延びている人。続々と駆けつけるボランティアの人たち。 被災地に赴けず義援金や物資を寄付する人々。 善意が善意を呼んでいる流れの中で、きっと忘れていた人とのつながりの暖かさや生きる意味を思い出せたかたも多いだろう。
反面、利己的な目的で物資を買いだめする人・被災地で行われる略奪・義援金詐欺・うそや風評。
人の目を気にする自粛・放射能にたいする間違った知識から来る偏見や差別もしかり。。
本当に悲しい事態も起こっている事実に事態の収拾を一日も早く願う日々。
僕が生活している周りでも 東海・東南海・南海地震のリスクもさらに高まって、不安が続く日々を送る人々もおおいことだろう。
地震によって日本中・いや世界中の多くの人々の心もふるいに掛けられ、何が重要なのか、本質がむき出しにされているようにも思う今日この頃。
ふと思い出したのが、日本では年間3万人が自殺しているという統計。
‘なにも起こっていない’日常の中で、今回の震災とおなじかそれ以上の人々の命が失われていく。
生命を「維持」していても、生きた心地がしない、希望が無い、尊厳が踏みにじられ、1人の人間として認められていると感じない、そんな風に毎日をやり過ごしているとすればそれはあくまで本人にとって『生きている』うちに入らないかもしれない。 そんな風に生きる意味を失った人々が毎日自ら命を絶ってしまっているのだ。
「生きている」ということは、その本人が実感として「生きている」「生きがいがある」と感じている事が非常に重要だと思う。
いま家族の一人ひとりに目を留め気遣い慰め励ますのか?
批判と不平を心に宿しながら口をふさぐのか。 日常の中で愛や気遣い、築き上げる会話の中で
防げる死もある。 真剣に耳を傾ける事で気付かされる事、改善される事だってまだまだ多い。
幼い頃から僕は家族で聖書を学んできた。そこから家族としての在り方、神に関する真理を知って将来に希望や、生きる意味を持つことが出来ている。いまの僕は所帯を持つようになり家族で聖書を学ぶことの大切さを日々実感している。
ところで、昨日は義母が手術だった。GISTの疑いで検査という検査を全て受けた。
(gastrointestinal stromal tumor;GIST)胃や腸(消化管)の壁に発生する腫瘍で、消化管間質腫瘍とも言われます。消化管の壁の筋肉の層にある、特殊な細胞(カハール介在細胞)が異常に増殖し、腫瘍となったもの。)
ようやく昨日摘出に至った。
大半がそうではないであろうが、医師の中には「命の継続」という大前提の元に医学知識を振りかざし、患者の信条や感情の意向にあまり目を留めない人もいることだろう。
天理のよろづ病院の外科部長さんが執刀してくださった。大きさからして悪性を疑わざるを得ない。そう言われたが、 治療に関する本当に丁寧な説明と、こちらの意向の確認とをしてくださって本当に安心できた。麻酔科の先生も若いがとても穏やかで安心させる言葉を何度も掛けてくださって非常に信頼できた。本当に感謝している。
6時間近い手術の後、摘出した腫瘍を見せていただいた。
その大きさたるや18センチほどもあるダチョウの卵のようなものだった。
息をのんだ。 これほどまでの大きさの腫瘍を抱えて辛かっただろう。でも手術が無事に終えられ
て本当によかった。 これから病理検査・治療が待っているが、とりあえず一息つけた感じ(^^;
義母さん、お疲れ様。
こんな近況で今思うのは、‘今のままでいい、何も起こっていない’と思い込むことの怖さ。 様々な日常の雑多な出来事にばかり気をとられてしまうと、一番大切なものの事を忘れてしまう。 それは気づかないうちに体の中で大きくなっていく腫瘍のように、命を危険に晒していくように思う。
だからこそ、家族の身体的・精神的・感情的・霊的な面に気配りが必要なんだな。
命はとても尊い賜物だ。死に面してというよりは、日々それを大事に扱っていかないと。。なんだかとてつもなく重い話題になってしまったが、そんな事を考えている。